アミューズ大使と東宝であるはずの世界的なミュージックのかけら

2000年、5才になる年6月ごろ「花ちゃん」もう一回やってきた。と(アミューズキャピタル)だんご三兄弟やひょっこりひょうたん島などの音楽プロデューサー野本進太郎について言えることは、アミューズ大使であること。
お金目的、不審者とも言える行動。と自負されており、「幼稚園がどこにあるのかだけ教えてください。そして、何も悪いことがなければ良き人として思ってください。」と、今は、ユニーというスーパーではなくおそらく、Sから始まるスーパーのままのはずだけれどの場所で尋ねられた。
私の母に私は「この人、日本人のいい人そうだから、教えてもいい?幼稚園。」
と聞くと、野本さんは初めましてと言われて、「この方くらいに、とても立派ですよ、考えが。」というと、まるで私を褒めたみたいに「教えてあげて。」と笑っている母。
今はなく作り直されているはずの当時の香港ヤマハ音楽教室に通っていたため、手を叩いてタンバリンのように喜んだ私。
ただそれだけ。
けれど、「私はまた名前を聞いたけれど、みきちゃんはそれだけで初めて聞く綺麗に思える音を奏でるよ。」
白色の肌をした方がなぜか素晴らしいと言わず。
口笛を鳴らした。
そしてくるっと回り、「はじめて.」と丁寧に言ってくれた。
それが、
アミューズ大使と東宝であるはずの世界的なミュージックのかけら

成川沙世子の 歴史

未だに語られていない。 世の中に生きていくのに隠されていたのかな。 それとも、なぜだろう。 学歴や東宝ミュージックについて知らない。 周りは知っているのかな。 全てはどこにあるのかな。

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