5-6才になるにあたって挑んだはずのこと
私は、4才の誕生日のことを今でも覚えている。その日の後の一週間は、アニメを観たり、身体をストレッチしたりお人形遊びをしました。ポケモンやリカちゃん人形、デジモン、とっとこハム太郎や仮面ライダーシリーズ、ウルトラマン、おジャ魔女どれみや名探偵コナン、ゲゲゲの鬼太郎やゴジラなど本当は沢山のアニメやドラマや映画が好きでした。
その話ばかりしていたら、香港から日本に風に乗って情報が回ったのか、芸能プロダクションアミューズ(アミューズキャピタル)の方で、音楽プロデューサーで俳優であった野本進太郎氏がお嫁さんの当時の歌手兼マネジメントのRIKAさん夫婦で訪ねてくるとは思いませんでした。ましてや、長老の渡辺エンタメ時代の方の吉田と依田と名乗る方がいらっしゃるとは思いませんし、わたなべと平仮名で覚えて欲しい社長さんが香港に現れるとは当時の今川花であり成川沙世子である私は思いもしません。ましてや、東宝の嘉山さんとおっしゃられる方に連れられて、トップコートの日野さんと名乗る方を見かけるなんて思いもしません。
私は、幼稚園が終わりバスから降り友だちやお母さんとの帰り、撮影用具を担いだスタッフや「映画やプロダクションとはな・・・」と話されている方が日本人の方であって私がうまく日本語を喋れると私は自信を持って話しかけました。
すると、アミューズキャピタルのちアミューズや東宝や渡辺エンタメのちワタナベエンターテイメントやトップコートとの方とは、はっきり思えないほど、優しいと思うほど柔らかい口調で「ありがとう」と言われました。5才になるまで何が起きるのか。東宝ミュージックに向いているとは言われませんとはその時点で知らなくても言えませんでした。
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